RAG FAIRのライブに行った話

 2022年最後の締め括り記事3連戦、大知さんのライブ藤井さんのライブ、と来て、最後は11月に行ったRAG FAIRのライブの話です。ラグフェアーと読みます。
 ラグフェアーは現在、土屋 礼央、引地 洋輔、荒井 健一、加藤 慶之の4人で活動するアカペラグループ。源流は大学時代のサークルで、フジテレビの番組、いわゆるハモネプで有名となり2001年にデビューしました。私の彼女はこの最初期の頃からラグのファンだったそうで、ライブに行き、CDを買い、出演するテレビ番組を録画し、とたぶん一番長く推し続けていると思われます。現在の姿はこんな感じ、後述しますがサポートメンバーが2名います。
 

 CDを出せばオリコン週間シングルチャート上位の常連、2005年には日本武道館でライブを開催、企業CMやドラマの主題歌にも複数採用、まさに時の人という感じのブームだったそうです。
 ラグのライブも誘われて初めて2010年にライブに行きましたが、ラグが他のアーティストと私の中で少し違ったのは「メンバーの中で礼央さんだけは知っている」ということでした。礼央さん、鉄道好きとして有名でタモリ倶楽部とかに出ていましたので、私は「鉄道好きアーティストの人」という認識で知っていました。逆に、そんな流れで私が礼央さんだけ知ってることに驚かれましたけどw
 アカペラというとなんだかゴスペラーズみたいなイメージを思い浮かべますが、ラグフェアーというのはほとんど劇団というか、下手するとコミックバンドにでもなりそうなぐらいにぎやかでして、ちょうどこの2010年のライブは持ち歌ではなくカバー中心のライブだったこともあって、全然知らない私でもエンターテインメントとしてただただ面白かったです。
 
 声だけ、使う道具はマイク一本でどうしてこんなことができるのか、という驚きでしたが、あの時の企画だと

「どんな曲でも最後を『ウルトラソウル!』で締めると行ける気がするので、最後をウルトラソウルで締めるといい感じになる歌ランキング!」みたいなことを言って、大きな古時計を「今は、もう、動かないーーー・・・ウルトラソウル!」とか色んな曲をウルトラソウルで締めるとか、

「3.14159265358979...」と突然円周率を言いながらメンバーが出て来たと思ったら、そのうちこれに音階が突き出して気づいたら『We will Rock you』に乗せており、そして結局オチは円周率の『69』が来る部分で「ロッキュー!」って言いたいだけ、というアホなものがあったり。本当にコントを見に行ったぐらいの感じです。

 ただこの2010年というのはラグの活動においてはザックリ言うと『晩年』にあたり、その後2011年に活動休止を表明。翌年以降再開して細々と活動があるものの大々的なものではなく、各メンバーが個人としての音楽活動を行うにとどまりました。その間にベース担当の加納 孝政、ドラム等のボイスパーカッションを担当する奥村 政佳が脱退して、メンバーにはボーカル、コーラスはいるけど楽器に該当する人がいない状態になりました。そのためライブを行おうとする場合にはサポートメンバーを起用しています。
 おっくんは保育士になって気象予報士の資格をとって、参議院議員選挙にまで立候補して、全然別の世界ですごく忙しそうにしてますね。礼央さんはテレビにラジオに活躍の場が多くて常に肩書としてRAG FAIRは付いているので、逆にそこだけ見たら知らない人はまさかラグフェアーがほぼ活動していないとは思わなかったことでしょう^^;

 それが、2020年~2021年に結成20周年を記念してツアーをやろう、と眠っていたラグの活動が復活、しようとしたらパンデミックの影響でそれどころではなくなりますが、世の中の流れに乗って色々と配信したり環境を整えつつ人前での活動を再開していき、2021年末に20周年記念ライブ、そして今回2022年に『ジモジモツアー2022』というのを開催するに至りました。
 ちなみに礼央さんによると、20周年記念ライブの練習をするにもなかなかご時世的に集まって練習ができず、しかしリモートだと遅延があって声を合わせることが難しいので、結果的にみんな自宅のネット環境が更新されたそうですw
 活動を再開したと言っても、レコード会社や事務所の支援というのものがあまり感じられない雰囲気で、公式サイトでグッズの通信販売も行っていますが利用しているのはネットショップを誰でも無料で始められるサービスのBASE。梱包と発送作業をするのはメンバー自身で、送り主はよーすけさんになっており、在庫があるとメンバーの家に置いておかないといけないらしいです^^;

 そんなジモジモツアー、どこも収容人数200人程度の小さいライブハウスで、大阪公演も阿倍野ROCK TOWNというあべのキューズモールのレストラン街の隅っこにある小さいライブハウスでした。つい数週間前に3万5000人のライブに参加した後が200人というすごい格差、時々確認したら売り切れになっていなかったのでちょっと心配になりました^^;

 実はこの話の最初に書いた彼女の心臓の手術、病院側の体制の問題でわりといきなり予定を聞かれて都合がつけばいきなり入院する感じでして、なんとパナスタライブの後、このライブの前に滑り込むように入院と手術になりました。一応希望を出していたとはいえ本当に滑り込みです。ライブ当日の11月14日は手術から1週間、退院からまだ3日しか経過していないので、体調が大丈夫なのか結構心配でした。
 会場に入ると幸いにして狭いホールはほぼ満員でした、椅子も無い全員スタンディングなのでてきとーな場所へ。後で聞いたら「ボイパのサポートを呼んでライブするならだいたい向かって右側にその人がいるから、ちょっと真ん中より左寄りにいるとちょうどメンバーの正面になると思った」と計算ずくの立ち位置だったみたいです、マジでその通りでした。

 ジモジモツアーというのは各メンバーの地元を巡ろう、というお題目なんですが、大阪出身のメンバーは、というと実は誰もおらず、脱退したおっくんの地元ということで一応繋がりがある感じでした。そのおっくんは高校が天王寺にあったのでここはたしかに地元です。おっくんのちょっとしたサービス精神(?)で、ライブ開始までに流れているBGMが探偵ナイトスクープのテーマ『ハートスランプ二人ぼっち』とか、『大阪で生まれた女』とか、やたら濃い選曲でした。開始前から客を笑わせるラグフェアー恐るべしw
 そしていざライブが始まって、最初によーすけさんが歌い出すと、ふと横を見たら彼女がボロボロ泣いていました。ずっと応援していたラグフェアーが実質無くなってしまって、ずっと待っていて訪れたライブで本当に久しぶりによーすけさんの声を聞いてものすごく嬉しかったみたいです。

 今回のライブもまあ合間合間のトークを含めてお笑いライブを見に来たのかと勘違いする笑いの応酬。でも歌い始めるとやっぱりすごいんですね、これは唯一無二、アーティストでも歌手でもなく『エンターテイメント集団』というのが一番しっくりくる表現です。
 2時間ほどあったと思いますがあっという間に終了、ライブ後にDVDを求めて物販コーナーへ向かいましたが、物販をやってるのも全部メンバー自身です。彼女はけんいちさんが担当する側へ行きましたが、「売り切れてる商品もあるから、20周年ライブのDVDありますか?って聞いたら『あ~、20周年は結構残ってるんですよ~』って言ってた」そうです。その後、DVDの値段を書いたメモがどこにあるか分からずあたふたしていて、こっちから教えてあげた模様。アットホームな現場ですw
 今回のツアーではメンバーが公演終了後に短いライブ終了動画をアップしているんですが、大阪公演も私が家についてそろそろ寝ようかという頃にアップされており


 キューズモールの向かい側の商店街から映像が始まりました。ちょうど私たちも時々行くお気に入りのパン屋さんの前あたりから映像が始まったので面白かったですね。なおこの後メンバーはサンライズ瀬戸・出雲に乗って東京へ帰り、礼央さん曰く「ちょっとメンバーが鉄道に興味を持った」そうです。ライブの撤収作業も全部メンバーの仕事、道具が少ないとはいえ本当に全部手作りライブです。
 もう本当に行ってよかったですね。さすがに笑かされると黙ってることはできず会場は笑いの渦でしたが、だからといってなし崩し的にコール&レスポンスが起きる、なんてことはなく曲の間は手拍子や手振りで静かに観覧、飛び跳ねて揺れてる時はあったなあ。

 これからラグがこの規模でも継続的に活動して、またライブに行けたらいいなあと思うわけですが、藤井さんとラグを見ていて感じたことがありました。ラグに関しては、以前から彼女からこんな風に話を聞いていました。

「段々とリードボーカルが固定されたり、楽器が入ってすごくがちゃがちゃしたり、外部の人が作った曲を歌ってたりして、流行に乗って売れそうな感じの綺麗な歌になって、ラグの良さが無くなって行った」

 これに対して私も知った口で

「レコード会社としては売れるものを作ろうとするから、最初は『楽器なしでこんなに歌える!』みたいな物珍しさを売りにしても、その後が続かないと困るから、悪く言えば『普通の歌手』にして売ろうとしらんとちゃうかなあ」

 なんて言ってお互いに頷いてたんですが、アルバムを数枚借りて聞いたところなるほどなと思いました。最初のアルバムでは洋楽のカバー曲が多めでオリジナルは少なかったんですが、CDからメンバーの楽しくて仕方ない様子が伝わってきました。大学のサークルのノリがそのままプロになって自由に暴れている、そんな感じです。
 それが、時代が進むとたしかに色んな楽器が増えて行って、せっかくアカペラグループなのにCDに入っているのが全然アカペラではない、というのが増えていました。綺麗な音楽ではあるんですが、これがラグフェアーの音楽かと聞かれると首を傾げるファンの気持ちがすごくよく分かりました。
 新進気鋭で今まで見たこと無いようなものを作ったベンチャー企業が、大企業に買収されたら気づいたら汎用の製品を作ることになっていて全然その企業の魅力が無くなっていた、そんな感じでしょうか。礼央さんの作った曲は特にヘンテコなものが多くて、たとえば七転び八起きという曲の歌詞には

「あの出で立ちは春一番 どう見たって春一番 ファンだったので声かけてみた 猪木だった」

という歌詞があります。今の人は分からないかもしれませんけど、春一番はアントニオ猪木のモノマネをする第一人者の人です。吹き出しましたよw
 しかし振り返ると、アントニオ猪木は長い闘病生活の末に今年亡くなられましたけど、春一番は2014年に47歳で亡くなってるんですね。

 想像ですが、ラグフェアーとしてやりたいのはいつでもサークルのノリ、ファンもたぶん最初から応援している人たちが見たいのはその方向性、でも売り込む側とするともうちょっと普通のものを出してもらいたいので、会社側が考える、売れるであろうレースを敷いてその上を走ってほしい、という方向性の違いがあったんじゃないかと感じます。

 で、ここで前回の藤井さんの話題と繋がるんですが、藤井さんは河津さんを中心にして『藤井風の魅力、伝えたい事を最大限に伝えるための方法』を考えて計画を立てたと思います。
 もちろんラグフェアーも、担当スタッフの方は一生懸命考えたんだと思いますが、結果として見えているのはどちらかというと『魅力を伝えるよりも売れるための会社の事情を優先した。選択を間違えた』ように見えます。たまたまこの順番でライブを見たせいもあって、「もしラグフェアーにカワズさんみたいな理解者がいたら、もうちょっと違う展開になっていたんじゃないか」とお互いに同じ事を思いました。彼女によれば、ラグフェアーは

「あの頃はワケも分からずただ言われるままに突っ走った数年間だったと言ってた」
「もうあまりテレビに出なくなったころにミュージックステーションに出た時、すごく『出演させていただいてありがとうございます』って言ってた。後から考えたら、たぶんワタナベエンターテインメントの力でなんとか出してもらったんやと思う」

 という話で、身の丈以上に無理したり、大人の事情に翻弄されてた様子が伺えます。もちろん時代も違えば背景も違うし会社の事情も違うので一概には言えないでしょうが、やはり伝えるべき軸になるものだけは曲げてはいけない、そんな風に感じました。
 現在のラグフェアーはといえば、『RAG FAIRの音楽室』という配信ライブを時々行ったり、オンラインミーティングをそのまま配信したりして、非常に自由な雰囲気で活動している様子。もうほとんど事務所やレコード会社からしても課外活動状態に見えるんですが、それゆえに制約なく、全部自前だけどそのぶんやりたいことをやっている雰囲気です。音楽室の映像編集も自前。

 ラグに関しては、礼央さんが実は発声障害を患っており本来の声が出ない、という難題もあります。配信ライブの予告映像を見ていると問題無さそうに見えるので最悪の状態ではないみたいですが、ライブではうまく音が拾えていない様子がみられました。人前の状況で、音響も大音量になって力を入れると声帯がまだ正常に動かないのかな、という印象です。声が妙だなと思ってライブが終わった後に調べて知りました。奥さんが胃がんで全摘出したりとかなり苦労をしていたようなので、焦らず快方に向かっていただけたらなと思います。

 そんなわけで、長々と3回にわたって今年見に行ったライブの話を書き連ねてみました。ちなみにこのラグフェアーのライブ、久々に『晋呉先生が出てこないライブ』だったということになるんですが、途中で思わぬ出来事も発生しました。ダンスの話題になった際に礼央さんが

「ダンスと言えば三浦大知かラグフェアーかと言われたぐらいですからね」

とひとボケ。礼央さんはもう絵に描いたような『口から生まれて来たような人』で、思いつくままにたとえ話やらボケやらを挟んで来るので油断できません。関係無いのに結局このライブにも大知さんが絡みましたw
 とりあえず、2月にまた幸運にも藤井さんのライブに行けることになったので、健康体で頑張ろうと思います。

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