"上級国民騒動"から考える(2)

 前回の続きです。

 前回は、容疑者という呼称についてや、逮捕が何なのか等の基本的なことについて書きました。基本的にはこれで『上級国民だから~』という言質が誤解であるという根拠としてはだいたい揃っているのですが、この件に関してよく出て来る他の物事についても見ていきたいと思います。



・2日後のバス事故では逮捕された→状況が異なります

 今回の騒動にさらに火に油を注いだような結果的になってしまったのが、池袋の事故の2日後、兵庫県神戸市中央区布引町において発生した事故でした。この事故では、神戸市営バスが横断歩道を渡る歩行者を次々と撥ね、2名が死亡、7名が重軽傷を負ったもの。運転士だった男は現行犯逮捕されました。
 池袋の事故から僅か2日後に、同程度の死傷者が出ていながら片方は逮捕されず、こちらは逮捕されたため、上級国民騒動がさらに加速する要因となったと考えられます。

 違いが出た理由は、前回書いた通り単純に、『入院したかどうか』です。バスの運転士は報道によれば軽傷でした。よく「救護していて逃亡のおそれないだろ」「じゃあ俺も逃亡しませんって言ったら逮捕されないのかな」といったようなコメントが見られますが、現行犯逮捕では逃亡の恐れは考慮されません。
 交通事故を起こしたと強く推定される運転者が現場にいて逮捕可能な状況であれば、現行犯逮捕するのが原則です。このバス運転手も、入院するような大けがをしていたら当然その場で逮捕はされなかったでしょう。

 また、バスの運転士は乗客を乗せて運転することを許可される『二種免許』を保有しています。大型免許とともに簡単に取得できるものではなく、高度な運転技能を有している前提です。それが事故を起こすということは、薬物、居眠り、病気、車両故障など正常な状態では起こらないことが起きているのではないか、という捜査上のポイントが生じます。
 また、運転する仕事というのは雇われて運転をしているので、身柄を解いてしまうと会社との口裏合わせ等が考えられますし、場合によっては会社から「20連勤やったこと絶対言うなよ」とか、運転士が会社から不当な圧力をかけられるようなことも考えられます。逮捕には、多少ですが運転士の立場を確保して会社の不当な介入を防ぐ、という意味も含まれていると考えられます。

 この事故については、結局5月13日に検察が起訴、10月30日に神戸地方裁判所で判決が言い渡され、禁固3年6ヶ月の実刑が言い渡され、被告は控訴しなかったため刑が確定しました。逮捕期日が4月21日ですので、勾留を延長してほぼ最大まで使った上で検察が起訴したんでしょうね。比較的分かりやすく被疑者も反省している事故で、ほぼフルで勾留する理由が何だったのかは謎ですが。


・SNSを削除してるんだから証拠隠滅の可能性ありだろ→色々間違いです

 現行犯逮捕はできないとしても、飯塚は事故後に救護もせずに息子に電話してSNSを削除させていたんだから証拠隠滅の可能性ありだろ、こんなコメントもよく目にします。しかしながら、これも複数の点から誤りがあります。

 まず、SNS削除は基本的に証拠隠滅と何の関連性もありません。殺人事件等であれば、SNSには犯行に繋がるような手掛かりや、場合によっては犯行声明、動機となるやり取り等が含まれている可能性があります。本件でも、事故前に見るからに正常な運転が困難であることを推認させる内容や、自動車による大量殺人を予告する内容が投稿されていたならば、それは証拠隠滅の可能性があります。
 が、仮にそうであったと仮定しても、事故後1か月経過した退院後の逮捕の可否には影響を及ぼしません。交通事故で証拠となるのは事故車両、周辺の防犯カメラやドライブレコーダー、目撃情報などです。これらは入院している間に警察が大方捜査を終えていると思われます。1か月も経過してから一体どんな証拠を隠滅できるんでしょうか?逮捕の必要性に繋がるものなど無いので、仮に警察が「こいつはすぐにSNSを消す悪者なんです!逮捕状を請求します!」と裁判所に要請しても、おそらく通らないでしょう。

 すぐにSNSを削除した人が、怪我が治ってぴんぴんしてる元気な人なら、退院したらどっかに逃げる可能性があると判断されても不思議ではないですが、ご存知の通り実際は杖をついてゆっくり歩く状態で、しかも入院中も任意の捜査に応じていたとされます。これを『逃亡の可能性あり』とは通常は判断されません。
 また、そもそも『電話でSNS削除を依頼した』という情報に信ぴょう性がありません。ソースとなる一時情報は全く見当たらず、削除した、という情報だけが出回っています。勲章を受けた元官僚ということで過去に所属していた団体などで写真が見れなかったりすることも削除に含まれているようですが、J-CASTニュースの取材によれば、事故後にマスコミ対応が面倒で団体側が削除したり、そもそも事故前には公開期間が終了していたものなど『事故後に電話で依頼したから』削除されたという根拠は見当たりません。


削除が事実でも、それが『電話で事故後に現場で依頼した』かは不明です。 


・続報が無い、マスコミが忖度して風化させようとしている!→思い込みです

 事故から暫く経過すると、続報が無い、会見ぐらい開け、こんなコメントを目にしました。しかし、交通事故の加害者が会見を開くなんて、芸能人や政治家等の有名人以外で見たことはありますか?まず無いと思います。
 また、公益財団法人 交通事故総合分析センターの統計では、2019年に日本で発生した死亡事故は3133件、死者数は3215人となっています。これらの事故には運転者のみが死亡した事故もあるでしょうが、多数含まれる対人死亡事故について、マスコミがいちいち事細かに報道しているでしょうか?これもまず無いと思います。警察が任意で事情を聴いてるのが逐一報道されてたらそれはそれでおかしいでしょう。
 マスコミが初期報道偏重で続報が少なく全容が分からない、というのはその通りですが、他の事件・事故で扱っているものをこの件だけ扱っていない、というわけでもないのに、マスコミが忖度~という話をしているのは明らかに間違い、思い込みです。

 そもそもマスコミがどうのという話の起点として『さん付け』の思い込みから『マスコミが異常に犯人に肩入れしている』という誤解が最初にバイアスとしてかかっているため、こうした連鎖のようなものが起こっている可能性があります。また後々取り扱う予定で、むしろ最終的にはそちらの話題に進めたいと思って書いてますが、こうした状況・思考は危ないので気を付けないといけません。


・書類送検だけで終わりなんておかしい!→制度を理解しましょう

 警視庁交通捜査課は2019年11月12日、飯塚を自動車運転処罰法違反の疑いで書類送検しました。すると、もう見なくても想像が付きましたが、「書類送検だけなんておかしい」「書類送検じゃなくて逮捕だろ」「上級国民は2人も轢き殺して無罪か」といったコメントが見受けられました。政治評論家を名乗る人が「不起訴」と投稿していたものありました。正直頭が痛くなってきますが、書類送検というのは捜査における手続きの1つで、有罪か無罪か、といった話とは関係がありません。

 前回の記事で書いた通り、捜査機関は、まず逮捕するか否か、次いで、身柄を検索へ送るか否か、と、言うなればいくつかの選択肢からコマンドを選択して捜査を進めます。勾留される身柄事件の場合、勾留期限の段階で検察が起訴するかどうかを判断する、行ってみれば締め切りのある仕事として捜査が進められますが、在宅事件では警察が任意捜査で捜査を進めます。こちらは締め切りがありません。
 そして、捜査が完了すると、それを資料に書いてまとめ、検察に「これこれこういう取り調べ結果になりました。起訴するかどうか判断お願いします」と渡します。身柄事件では逮捕後に人間を検察に引き渡すのに対し、こちらは書類だけ検察に渡すので『書類送検』などと表現されます。これも法律用語ではありません。

 警察は書類送検に際して『処分意見』というものを付けることになっており、『厳重処分・相当処分・寛大処分・しかるべき処分』の4段階があります。『寛大』と『しかるべき』が『通勤準急と区間準急のどっちが速いの?』的分かりにくさを演出していますが、しかるべき、というのは不起訴が妥当だとする意見だそうです。
 それは置いといて、捜査して事情をよく知っているので「この人は起訴すべきです」「事情を考えると起訴する必要は無いと思います」と警察なりの見解を添えるのです。もちろん最終的な判断は検察なので、これも参考にしながら検察が起訴すべきか判断をします。
 ちなみに今回の事故では、警察は起訴を求める『厳重処分』を処分意見として付与しています。この人は裁判にかけられるべきだ、という書類を送ったのに、『不起訴なんておかしい』とか批判されたら捜査機関の方々が気の毒です。

 なお、これとは正反対に、書類送検→違法行為があったことが認められた、みたいな誤解をしている人も見られます。これも誤りです。警察は告発状を受理した場合には必ず捜査する必要があり、捜査したら必ず書類送検は行われます。
 例えば、私がレース記事で「判断が甘かったのでは」と指摘したレーシング ドライバーがいたとします。そんぼドライバーが名誉棄損で私を刑事告発して警察がこれを受理すると、私は捜査対象となります。
 捜査が終わると、警察は必ずその結果をまとめた書類を検察に送ります。つまり書類送検です。捜査の結果、全くもって名誉棄損の要素など見られなくて起訴する必要が無いと警察が考えたとしても、『然るべき処分』という処分意見と共に書類送検は行われます。たぶんそのまま不起訴になって集結でしょうね。
 ですが、これをメディアなんかがよく『〇〇氏を書類送検』というような見出しで書いたりします。なんだか悪いことをしたと決まったかのように見えるので、報道のやり方としてよろしくありません。そもそものバイアスがかかった誤解のある解釈にさらに乗っかっているような書き方です。これは是正されるべきだと思います。

 ちなみに、『そもそも刑事告発が受理されたんだから疑わしいことがあったんだろ』というような事を言う方がいるかもしれませんが、警察は基本的に形式が整った告発であれば受理する義務があります。中身がどう考えても起訴できそうにない案件であっても、形式が最低限きちんとした範囲に収まっている場合には告発を受理する義務があります。
 そのため、『刑事告発を受理』『書類送検』と言った単語には、その言葉自体には事件性や違法行為の有無などは一切分かりません。これも併せて覚えておいた方が良い事柄です。


・過失致死では無く危険運転致死にすべきだ→現行法では残念ながら無理です

 あれだけの異常な速度で暴走させて死傷者を出したのだから、過失運転致死ではなく危険運転致死にすべきだ、という声もあります。過失致死の場合懲役は最高で7年、危険運転致死では15年となっています。しかしながら、これはご存知の方もおそらく多いとは思いますが危険運転は構成要件が極めて厳格であり、よほどのことがないと適用できないのが現行の法律です。下手に適用して起訴すると無罪になりかねません。というか本案件ではほぼ間違いなく無罪になってしまうでしょう。

 構成要件が厳しすぎる現行法は問題があると私も当初から思っていますが、他の人に適用されてこの件にだけ適用されていないならまだしも、どこにも適用できない法律なので当然上級国民など関係なく、むしろここにだけ適用されたら法治国家ではありません。



・時間がかかりすぎだ!普通こんなにかからない!→在宅事件ではありがちです

 既に書いた通り、在宅事件だと締め切りがありません。他にも在宅捜査の交通事故というのは多く発生していますが、書類送検までに半年前後かかるのは一般的な状況です。もっと早くならないのか?というのは素人からは分かりませんが、日々多くの事件が発生する中での対応になり、警察はこの事故だけ取り扱っているわけではありません。
 人員を増大させれば早くなるかもしれませんが、令和元年度版警察白書によれば、警察予算は国民1人あたり約2.9万円が投じられています。これを高いと思うか安いと思うかはそれぞれですが、必要な人員等を増やすと当然費用が増加しますので我々にはそれを負担する必要が生じます。

 「だったらなおさら逮捕して20日でさっさとこいつを起訴すべきだ!」という人がおそらくいると思いますが、それこそ権力の濫用です。逮捕要件を満たしていないのに警察も裁判所も結託して「こいつはさっさと進めよう」という理由だけで逮捕・勾留・捜査が行われてしまえば法治国家ではなくなります。
 実際にはそうした権力の濫用による恣意的な捜査や介入があったのではないか、と疑われる事例が多々存在するために、これら一連の騒動が収束しない一因となったことは確かですが、だからこそ余計に、客観的事実として関係ないものを混ぜてはいけないですし、怒るべき対象は本来濫用のはずなのに、これでは「権力を濫用しろ!」と言っていることに、自覚はなくても結果的になっています。

 また、そもそもの点として、今回は被害が非常に広範囲にわたっており、ゴミ収集車が横転している映像をご記憶の方も多いでしょうが、物的損害もかなりのものです。そういったあたりをきちんと捜査してまとめたいという中で、勾留期限は逆に捜査機関の足かせになりかねません。
 元々高齢者は勾留しない運用方針がありますが、それというのも、人権的な配慮もありますが、拘置所内で今日は体調が優れないだの風邪を引いただのということがあって、全然捜査が進まなければただの時間の浪費で意味がないという実務的問題もあります。実際、『捜査のためにあえて逮捕していない』という見立ての専門家もいるぐらいです。事実上勾留が無理なのでその解釈が合ってるのかは不明ですが。

 専門的で普通に暮らしていればお世話にはならないことが多いはずなので知らないのは仕方ないとはいえ、調べる、指摘されたら間違いを認める、こうした行動を取らず、頑なに自分の考え、それに沿った考えだけを妄信してしまうのは極めて危険です。次回はそのあたりに話を広げつつ、くそ長ったらしい話をなんとか終わりにしたいと思います。

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