トゥルーエックス、今季限りでの引退を発表

 ここ数年の恒例行事となりつつあった『トゥルーエックス現役続行するしない問題』にとうとう決着の時が訪れました。6月14日、マーティン トゥルーエックス ジュニアが今季限りでカップ シリーズのフル参戦から退き現役を引退することを発表しました。


 今週に入って ジ アスレティックが『トゥルーエックスが引退を決断し、今週金曜日にアイオワで記者会見を開く模様だ』と伝えると、各メディアが相次いで裏取りを行っていきました。そして、金曜日に会見が行われました。


「今週ずっとインターネットでニュースが流れていたので皆さんはもうご存知でしょうから、私がなぜここにいるのか分からないわけですが、来年フル参戦しないことをお伝えするためにここに来ました。もちろん、残る今シーズンが楽しみですし、ジョニー モリス(スポンサーのバス プロ ショップスのオーナー)がここにいてくれるのは、私にとってこの上なく嬉しいことです。彼は私の大いなるサポーターです。彼がいなければ、21年間にわたって私が成し遂げたことは何もできなかったでしょう。」

 冒頭ちょっとボケてみましたけどそういうキャラじゃないしテンポが今一つなのであんまりウケませんでした(え)

「信じられないくらい素晴らしい経験でした、とんでもない経験でした。将来が楽しみですし、まだどうなるのかは分かりませんが、自分の決断に満足しています。コーチ(ジョー ギブス)、JGRトヨタのみなさんに感謝したいです、本当に素晴らしかった。選手権に勝つというのは常に夢見ていたことで、それを成し遂げられたのは本当に素晴らしかったです。何年にもわたって多くの素晴らしい人々に囲まれてきたことは本当に幸運で、一緒に働いてきた全てのクルー メンバー、クルー チーフ、チーム オーナー、あらゆる人々、本当に尊敬しますし、彼らがいなくなると寂しくなります。でも、どこかへ行くつもりはなくここにいるつもりです。一緒に何か楽しいことをやるつもりです。ちょっとゆっくり人生を楽しみますよ。」

 オーナーのジョー ギブスは
「マーティンに最大限の敬意を払います。続けてもらうためにやれるだけのことはやったんですよ(笑)我々には最高の状態にある43歳が2人いると思います。」
(※もう1人はデニー ハムリン)


 トゥルーエックスのキャリアについて振り返ってみましょう。1980年生まれのトゥルーエックスは元々父親もレース活動をしていて、父親の下で自身もレース活動を開始。2001年から父親のチームでエクスフィニティー シリーズにちょろちょろと参戦していましたが、2003年にチャンス 2 モータースポーツからスポット参戦の機会を得ると、シーズン最後の2戦で連続2位を獲得し翌年にフル参戦。すると2004年、2005年と2年連続で6勝を挙げて連続チャンピオンを獲得しました。
 このチャンス2というのはテレサ アーンハートとデイル アーンハート ジュニアが設立したチーム。理由はよく分かりませんが、トゥルーエックスは2000年に地元ニュージャージー州からノースキャロライナ州へ引っ越した際にデイルジュニアの家を借りて居を構えた(後にこの家を購入したとのこと)そうなので、何かしらジュニアさんと接点ができて、ジュニアさんに実力を見てもらえたのかもしれません。

 そんなわけで、2006年にデイル アーンハート インクからカップシリーズにフル参戦を開始、翌年のドーバーで初勝利を挙げました。DEIは2009年にチップ ガナッシ レーシングと合併してアーンハート ガナッシ レーシングとなりますが、結局この組織では2007年の1勝だけにとどまって2010年からはマイケル ウォルトリップ レーシングへと移籍しました。
ヒゲあったほうがいいですね

 MWRで彼の付けたカー ナンバー56は彼の父親が現役時代に使っていた数字で、父の数字を背負って、というところもありましたがMWR自体がそんなに強力なチームではないので最初の2年間は苦戦。それでも2012年にトップ5フィニッシュ7回でシーズン11位と健闘すると、2013年のソノマで久しぶりの通算2勝目を挙げました。

 しかしこの年のレギュラー シーズン最終戦、プレイオフ進出を巡る争いの中でMWRがチームメイトのクリント ボイヤーに故意にスピンする指示を出してトゥルーエックスを有利に操作する、いわゆるスピンゲート事件が発生。トゥルーエックスはチームの不正行為のためプレイオフから除外されてしまいました。
 MWRは不正行為を行ったチームというありがたくない冠を授かったためスポンサーが激怒して撤退するなど後にチーム消滅に繋がる致命的な事件となってしまい、スポンサーの無い56号車は翌年の活動ができなくなったのでトゥルーエックスはやむなくチームを離脱。移籍先はつい最近まで後方を走るのが常連だった小規模チーム・ファニチャー ロウ レーシングでした。
 ただ彼にとって少しだけ幸運だったのは、前年までの2年間は2004年のチャンピオン・カート ブッシュが在籍してチーム力が上昇傾向であったことでした。彼もまた素行不良などで居場所を失ってFRRに都落ちしてきたような選手でしたが、けっこう真面目に走って2013年は『史上初の1台体制チームによるプレイオフ進出』を果たし、評価を上げてスチュワート ハース レーシングへと栄転したばかりでした。

 2014年こそ振るわかなったトゥルーエックスでしたが、2015年は新人クルーチーフのコール パーンと組むと歯車がかみ合い、第14戦ポコノーでとうとう優勝。抜群の安定感を武器に1勝ながら選手権4位という自己最高成績を収めました。すると、2016年にFRRがメーカーをシボレーからトヨタへ変更、それまでのシボレー勢泡沫チームから、JGRと提携した一流チームの恩恵を受けた体制へと変貌しこの年は4勝。コカコーラ600で400周のうち392周をリードする歴史的圧勝を見せたことは、NASCARがステージ制というレース制度を考案する大きなきっかけになりました、ある意味レースを変えた男ですから大谷 翔平みたいなもんですね()。そして2017年、年間8勝を挙げて36戦で19回のトップ5、異様な強さを見せて37歳にしてとうとうチャンピオンに上りつめました。
 遅咲きで苦労した選手が、コロラド州デンバーというNASCARとしては非常に変な遠い場所に拠点を置く小規模チームとともに栄冠を手にした、というのはNASCARファンの多くを興奮させる出来事だったと思います。勝ちすぎてアンチも増やしたでしょうが、これほど速く安定して1年を走り続けるというのはそうできることではありません。


 ところが悲しいかな、FRRは資金不足で活動を継続できず翌2018年をもって閉鎖。JGRに支払う提携料はそれなりにお高いようで、チームは競争力と引き換えに寿命を失った、そんな感じでした。これは後年のリバイン ファミリー レーシングでもまた同様の出来事が起こることになります。
 トゥルーエックスはまたもや所属チームが消えましたが、MWRのシートを失った時とは当然立場が違うので、そのままJGRに加入しました。多少の浮き沈みがあって未勝利のシーズンも2度あったものの、JGR移籍後現在までの5シーズン半ほどの間に通算15勝を重ね、選手権では2位を2度獲得しました、2度目のチャンピオンにはあと一歩届かなかったですね。


 通算で34勝、うち32勝をトヨタで記録。ここ数年は単年契約を繰り返して、引退か、現役をもう1年続けるかを熟慮しつつ走ってきたトゥルーエックスでしたが、今年が区切りの年となったようです。トゥルーエックスは

「21年間この仕事をしてきました。レースを欠場したことは一度もありません。練習を休んだこともありません。何事にも遅刻したこともありません。出演を欠席したこともありません。誰かが作ったスケジュールに従って生きてきましたが、今度は自分でスケジュールを作る時です。私にとってはそれが肝心なのです。」
「結局のところそれがすべてです。私は自分のやりたいことをしたいし、いつそれができるか、いつはできないかを誰かに指図されたくはありません。私は今でもレースが大好きです。これからもレースに出続けるつもりです。何を、いつ、どのように、なぜかはわかりませんが、この決断を下せる立場にいることをとても幸運に思います。」

 トゥルーエックスはどうやらアドバイザー的立場でチームには引き続きやんわりと関わる方向性のようで、エクスフィニティーへのスポット参戦をする可能性はあるようです。そして後任ドライバーについては、SHRの消滅に伴って仕事を探しているチェイス ブリスコーが有力だと現地メディアは伝えています。トヨタ系ドライバーはたくさん下にいるんだから、フォードの人材をそんなにあっさり引き抜かんでも・・・とか思ったりしますけど、そりゃあ優勝できる絶好のシートが空いたならFAの選手はそこに売り込みたいですよね。ブリスコーに決まったら、エクスフィニティーで走ってる若手はちょっとがっかりしつつ「ハムリンはよやめろ」と思ってるかもしれませんw

コメント

日日不穏日記 さんの投稿…
連投になります。ポコノで優勝した時に、ハーヴィックが、トゥレックスと交際中で闘病していたシェリーさんのことに配慮してか、苦笑いしながら「今回は負けたが、彼だったら仕方ないな」みたいなコメントをしていたのを、G+の中継を通して目にしたのを覚えています。チャンピオン争いはカイルとの一騎打ちで、ライブで観てましたが、2chの書き込みで、琢磨のインディ500制覇のレースより面白かった、ってコメントがありました。
ちなみにここの掲示板にURLが貼られていて、コメントするきっかけになってます。ブリスコーは良いドライバーですが、ネメチェックや、ジョーンズが良いかなぁ・・・と言う気がしますが。みんなまだ若いし。
SCfromLA さんの投稿…
>日日不穏日記さん

 どんどん連投してください(笑)話が長くなるのと最後に別れてしまわれたので記事からは省いてしまいましたが、トゥルーエックスのキャリアにシェリーさんの存在は重要ですよね。彼自身もフェアなレーサーとして信頼されている部類のドライバーだと思いますし、20代で大きなチャンスを掴めなくてもまだ終わりではない、というのを見せたという点でも功績はすごく大きいと思います。あと、ちょっと髪が薄いけどブリスコーも若いのでその点は大丈夫ですw(ジョーンズと1歳しか変わらない)
アールグレイ さんの投稿…
トゥルーエックスは2015年の最初の15戦中14戦でトップ10を記録したのを見て、急に覚醒したと思ったらわずか2年で一気にチャンピオンまで駆け上がったのは衝撃的でした。
MWRの順位操作や交際相手の病気の問題で大変な苦労もあったでしょうし、まずは今シーズンを無事に終えてゆっくり出来るといいなと感じます。
来年23XIから何戦かスポット参戦するという噂が早くも出ている以上、そう簡単には落ち着けないでしょうが。

バスプロショップスはトゥルーエックスの他にも、SHRやRCR(主にディロン)でスキームを見ることがありますが、もしかしたら来年は1台しか見られないと思うと残念です。
たまに3台ともバスプロスキームで揃う時もあったので。(今年はコカコーラ600でディロン、グレッグソン、トゥルーエックスがバスプロスキームでした)

ちなみにトゥルーエックスのカップ戦デビューは2004年アタランタ戦ですが、それより前のロードン戦でジュニアの8号車をリリーフした珍しい経験を持っています。(ジュニアのスポーツカーレースでの火傷のため、スタートをジュニアが担当して最初のピットで交代)
この前のラーソンの時のように、スタートした方のドライバーにポイントが付くので、幻のデビュー戦の様になってしまっていますw
ChaseFun9 さんのコメント…
チャンピオン取った時はホントに強すぎましたね~
何よりChaseのファンとしてワトキンスグレンでの二度の大激闘は忘れられません
SCfromLA さんの投稿…
>アールグレイさん

 アルミローラがエクスフィニティーにスポット参戦してイキイキしてる様子を見ると、ずっとチームに帯同して仕事するのとたまーにレースに出るために用意してくれたものに乗るのとでは全然時間も心構えも違うんでしょうね。せっかくなら現役時代からのジュニアさんとの縁で、1回ぐらいJRモータースポーツから走ってみるとかあってもいいなとか思うんですけどJGRの中にいる限りシボレーは無理なんでしょうねえ。
 バスプロさんは長いこと支援対象のドライバーがずーっと変わってないですが、これをきっかけに新しい看板選手を探すのか、ディロン一本なのか、どっかグレッグソンにでも付いていくのか、確かに気になる存在ですね~。
SCfromLA さんの投稿…
>ChaseFun9さん

 私はチェイスとトゥルーエックスの争いと言えば、ダーリントンで絡んでしまったやつが頭に浮かびますね~。そういえばドライバーのタイプとしては2人はわりと似たタイプな気がします。