ビアンキの悲劇を繰り返さないために

 F1の第18戦・日本では雨による中断、マックス フェルスタッペンのチャンピオン獲得、予選でのセバスチャン ベッテルの「アリガトウゴザイマス、スズカ」からの6位入賞など、レース距離が短くなる中でもお客さんや視聴者を盛り上げる部分があり、レース後もポイント制度を巡って混乱が起きて見ごたえ満載(?)でした。
 しかしもう1つ、中継映像では映っていませんでしたが、SC導入後にサインツの車を回収する作業クレーンとガスリーが接触しかけて、ガスリーが激怒し中断中もかなりこの件で騒然となっているという場面がありました。これは私としては独立して取り上げたいと思ったのでこっちに持ってきました。

 状況を整理すると、決勝の1周目にカルロス サインツが200Rでクラッシュ。他にもスピンやらアレクサンダー アルボンの故障による停止やら色々と起こりましたが、主にサインツのクラッシュを理由に1周目の終盤にはSC導入が宣告されて全車が隊列走行に入りました。
 現場では2周目に入る前に素早くクレーンがサインツ車のそばに駆け付けて回収作業が始まり、直後にSCを先頭に隊列がクレーンのそばを通って行き、その後2周目の終盤で赤旗となってそのままピットへと向かいました。事故現場の道幅は狭くてサインツの車は車体の半分がコース内に出ていたので、クレーンも車体の右側が舗装路上にはみ出している状態でした。最近流行のディープ フェイクでないことを祈りますが、現場で撮影されたと思われる映像があります。
 以降これが実際の映像であるという前提の下で話を進めますので、これが虚偽情報だった場合本当に申し訳ございません。


 隊列の全員が通過したと思ったら、約25秒後にピエール ガスリーが単独で現場を通過しました。ガスリーはサインツの事故で吹っ飛ばされたロレックス看板をウイングで拾ってしまい、ウイング交換を強いられて一人だけピットに入り、後方の離れたところから隊列を追いかけていました。
 ちょうど現場に到達したあたりで赤旗になったようですが、その頃には本人によると200km/hでその場に差し掛かっており、今さらブレーキも踏めずクレーンの横を高速で通過しました。鈴鹿、雨、クレーンといえば2014年に事故で後に亡くなるジュール ビアンキのことがありますのでガスリーは激怒、motorsports.comに対し「死まで2メートルだった」と語りました。
 ガスリーに関しては、赤旗中に大幅に速度超過したとしてレース後に20秒のタイム加算という重いペナルティーが課せられましたが、これは現場を通過した後の区間で赤旗が出てもなおずいぶんと速い速度で走っていたことが原因で、直接この件とは関係ありませんでした。最大で250km/h出ていた、という情報から『クレーンの脇を250km/hで通過した』と勘違いされている方もいそうですが、別の話です。

 隊列の中にいたドライバーも危険だと感じたようで、フェルナンド アロンソは同サイトに対し
「カルロスがどこにいたのか、まだわからないんだ。僕はトラクターも見ていない。視界がなかったんだ。セーフティカーの後ろではトラクターが見えなかったし、カルロスも見えなかった。明らかに、そこがレースの中で最悪の状態だった」
「間違いなく、容認できない。しかし同時に、なぜあのトラクターがあそこにいたのか、誰が判断したのか、誰かが何かを誤解してレースディレクターの許可なくトラクターを出したのかどうか、それを理解する必要がある。だから完全な説明がされるまでは、僕たちはあまりコメントすることができない」

 当時SNSでも、赤旗ですることがないせいもあってか「何でトラクターがいるんだ!」と、状況の全容を把握しないで批判している様子が言語を問わず見受けられたんですが、状況を整理しない中でのこうした発信は控えるべきで、アロンソもそれをよくわかった上で発言しています。2日ほど経ってある程度客観的情報は分かって来たので、私も今の段階の印象としてここから先の話を進めます。

 この件に関しては勝手にクレーンが出動したわけではなく、指示通りに動いた結果でした。FIA側はクレーンの導入は通常の手順であるとの認識を示す一方で、手順に改善の余地が無いか今後検証する意向も示しました。今回の問題については大きく分けて2つの論点に切り分けられるかと思います。
 まずはクレーンの導入時期で、コース外の遠く離れた砂場での作業であれば分かりますが、ほとんどコース外に道幅が無くて重機がコース上にまで差し掛かってしまうような状況で、しかも視界も路面状態も悪い中での導入が適切であったか、という点です。個人的には不適切だと思います。
 客席からの映像で見るとそれなりに見えていますがドライバーの視界だともっと見にくいはずで、低速で走るとは言っても万一を考慮すると安全とは思えません。重機の導入手順に対して、コースの形状、位置、天候や路面状況までを総合的に考慮せず機械的な判断をしているのではないか?と言われても仕方ないと思います。
 ビアンキの事故では、既にターン7の外側にエイドリアン スーティルが飛び出していて、作業のために重機が出動しているさなかにビアンキも同じ場所で飛び出したことから、彼の車はほとんど減速せず衝突し、頭部に深刻な損傷を負って事実上ここで命を落としました。
 この時は、現場を黄旗2本の区間としSCを導入しなかったことが、ビアンキが飛び出して悲惨な事故が起きる1つの要因でした。これは要因の1つであって主因ではないですが、現場の位置や起こり得る出来事を考えた時に「これが通常のやり方です」だけでは甘いということを学んだはずですが、事故以降にVSCを中心に色々仕組みを追加した結果、またマニュアル主義に戻ってしまって基本的な点を見落としていると個人的には感じました。

 正確な発言内容は覚えていませんが、あのレースでスーティルが飛び出した際、解説の川井 一仁は「これはセーフティー カーだ」と口に出しました。しかし実際にはSCは出されず、その翌周にビアンキが飛び出しました。
 この件に関して、SCの判断が遅い、川井ちゃんもSCを出すべきだと言っていただろう、運営おかしい、という声が当然出たんだと思いますが、後のF1GPニュースで川井ちゃんは「僕は鈴鹿のコースのことをよく知っているので『これはセーフティーカーですね』と言ったけど、F1の手順としては出さないのが普通」という趣旨の話をしたと思います。

状況から考えてSCを出す必要性か高いかどうか→はい
通常のレース運営としてSCを出す必要がある基準に達しているか→いいえ

 とこういう話でした。今回もこれと似ていると思いました。似ているといえば、ビアンキの事故の際も、フラッグの仕組みを正確に理解していない人が「スーティルの事故現場がグリーンになっている、これは運営ミスだ、ミスを隠したいからリプレイも流さず隠ぺいしているんだ」という誤情報が独り歩きして運営が誤った批判をされているのもちょっと似てますね。

 また、上記映像を見ると分かりますが、ガスリーは除くとしても隊列の後方に行くほど車間距離が空いていて、現場の通過速度が上がっていました。クレーンがいることを理解していたらあんなに加速しない気がするので、この辺にいた人たちもクレーンを認識できていなかったんじゃないか、と気になりますが、前方にいたアロンソでも認識できていなかったというのは怖い話です。
 ちょうどクレーンの到着とSCが現場に差し掛かるのは同時に近く、なんならルクレールあたりまではクレーンとちょっと並走してるんですが、最低でも全車に対して「ターン12でクレーンが作業を開始するのでSCはコースの右端に寄る、ドライバーは慎重に速度を落として右端を通過せよ」というメッセージが伝わっている必要があったと思います。
 レースの仕切り方が全く異なりますが、フォーミュラEはよくそういうメッセージをレース コントロールから全車に入れますし、NASCARだとペース カーは必要があれば停止寸前まで速度を落としたり、コース上で一旦止まるなりして厳重に安全を確保していると思います。上からの指示として重機を出すようにはしたものの、その後どういったことが起こるかの想定ができていない印象があります。

 2つ目はガスリーの通過で、これもまずは『ドライバーに重機の存在が伝わっていない』というのが最初の問題です。知ってたら、いくら隊列を追いかけたくても命がけで速度を出すことは無いでしょう。ただ、ガスリーはロレックスの看板を拾って、おそらくそのあたりがSC導入の要因となった何かしらの事故現場だという最低限の認識はあるはずで、それを考えるとクレーンの存在云々に関わらず、現場の通過速度としては速く走りすぎているとも思えます。
 当然ながらこれらの安全規定はドライバーよりも、まず第一に車両に残されている可能性のあるドライバーや、現場で作業を行うマーシャルの安全を守るために存在しています。クレーンがいなくてガスリーが激怒しなければ何の問題も無かったか、というとそんなことは無く、マーシャルを危険にさらしたように私は思います。後にまた出てきますが、SCはコース全域が黄旗です。
 もちろん、ドライバーは全ての状況を把握できるわけではなく、特にいきなり謎の物体が目の前にぶつかったガスリーは既にパニクっていてそこまで冷静に判断できなかった可能性がありますが、ならば余計に誰も事故現場の話を説明していないのは問題です。エンジニアのピエール ハムリンも何の情報も出せなかったんでしょうか?
 SC中にはドライバーの走行ペースに上限タイム、いわゆるセーフティーカー デルタがあり、ECUが設定した最低タイム以上のペースで走行しないといけません。しかしSCデルタは事前に設定された数字でドライの条件に基づいて決められているはずなので、これぐらい条件が悪いとそこそこ速く走らないと規定に届きません。結果、一生懸命走っても規定内のペースに収まることになります。既にSCに前を抑えられている人はそれ以上速く走れないですが、遠く離れたガスリーはそこそこ急ぎ足だったと思われます。

 ガスリーとすれば(赤旗の速度違反をするまでは)規則を守って走っていただけ、ということになりますが、つまるところレース コントロールもガスリーも規定通りに仕事していたのに、結果は死人が出る寸前の事態が起きたわけです。ということは、やはり事前の決まり事そのものや、決まり事さえ守っていれば大丈夫のはずだ、という思考・運用に問題があったと言わざるを得ません。

 2020年のイモラのレースでは、SC走行からの終了に向けて周回遅れをラップ バックさせた際、まだコース脇でマーシャルが作業をしていたのに、ラップバック車両が猛スピードでその脇を通過していった、ということがありました。今回のように雨の中で急いで隊列に追いつこうとするとドライバーが自滅するリスクはあるわけで、ドライバーがリタイアするのも、極端な話それで死ぬのも勝手ですが、マーシャルを危険にさらすのは絶対にあってはならないことです。
 そもそもこのマーシャルさんたちが作業していたのは、フェルスタッペンがタイヤのバーストでクラッシュしてSCが導入され、そのSCが導入されている中でジョージ ラッセルがタイヤを温めようとして自滅して事故った、というSC中の事故に起因する作業でした。F1ドライバーでもレースしていない、何も慌てる必要が無い状況で失敗することはあるわけです。
 この時にはベッテルが出来事を「恥ずかしい」とし、今のラップバックの制度はやめて数字上で周回数を戻して車はそのままにしたら良いのではないか、と発言。正直この案はトンデモで、当時のレース ディレクター・マイケル マシはこの案を一蹴しましたが、ラップバックや隊列から離れた車と事故現場の管理をどうするか、という課題自体が無くなったわけではなく、あの時もうちょっと真剣に考えるべきだったように思います。

 SC中には上記の通り規定された最低タイム(≒上限速度)があるわけですが、それ以前の問題としてSC中はコースの全体が黄旗の状態である、黄旗ということは常に危険に配慮し、何かあればすぐ止まれる状態でなければいけない、というのが規定タイムよりも優先して守るべき物事であるとも考えられます。
 黄旗の基本精神から考えるとガスリーの現場の通過速度自体が危険な行為で、先ほど『規則を守っていた』と書きましたが、根本的に黄旗の考え・規則を破っていて、キレるのはお門違いとも言えます。中には「悪いには基本的にガスリー」と思っている方もいらっしゃるかもしれません。
 今回はその点が問題にはなっておらず、2020年のSC中に自滅したラッセルも特に審議対象にならなかった(SUPER GTならSC中のスピンは罰則対象)ので、F1のレース運営とするとSC中に大事なルールはSCデルタを守るかどうか、なのかなと思いますが、ここまでの話で分かるように、そうした姿勢で危険を被っているのはマーシャルです。

 ビアンキの事故は悲惨でしたが、厳密に言うと黄旗が2本振動の箇所では、規則上は『何かあればただちに停止できる速度』であることが求められており、ビアンキの走行速度はそうではありませんでした。彼が死亡した最大の要因は『規則を守っていなかったから』、つまり自業自得ということになります。
 ですが、ビアンキに限らず黄旗には具体的な速度制限がないので『ただちに止まれる速度』で走っているドライバーなんて現実には誰一人いません。誰も形式的な行動以上に速度を落とさないことがレース界では常識で、そんなことしてたらたぶんクビになるから誰もしないし、運営する側もそれを良しとしてきていました。結果、前途有望な若者を我々は失いました。
 上限が無いと実行力が無いから複雑な規則を作ったわけですが、上限を作るとみんな上限を目指し、そこさえ守れば良い、ということになってしまいます。VSCという仕組みができた一方で、黄旗2本はどこか『VSC以下の速度制限とかがないただの追い抜き禁止のやつ』という認識になっていないか、というのは以前にもどこかで書いた気がしますが、今回もそれに近い話だと思います。
 どこで何の作業が行われている/行われる予定であるかを即座に全員に通知する、SC中はデルタタイムの設定とは別に、事故現場を含む前後のミニ セクターに速度制限区間を設ける、それが行われるまでは火災など緊急を要する場合を除き作業を原則的に行わない、といった方策を採用するぐらいの必要性はあるのではないかと思いました。

 競争している中で発生する、アントワーヌ ユベールのような死亡事故は防ぐにも限度があり『防ぎたければレースをしないのが安全だ』という部類に近い問題だと思いますが、今回のような問題は仕組みでリスクを限りなく抑えることができるはずです。今の仕組みにはほころびがあることがはっきりしているので、必ず策を講じていただきたいと思います。
 この問題は単に「FIAが悪い」「ガスリーが悪い」と主犯を見つけて叩けば良いという話ではありません。私から見るとそれぞれに問題点があります。大事なのは、今回たまたま何も起こらずに済んだ幸運に感謝しつつ、次回同じことが起きないようにする、その一点だと思います。

コメント

スイカ男 さんのコメント…
NASCARでないので匿名で。。。(まぁ名乗ってるようなモノですが...)
正直、あらゆるレースでシングルイエローでもダブルイエローでも徐行してるシーンってあったかなぁと、ふと感じました。
大雨の中、WECのようにスローゾーン設けたらその入り口のフルブレーキングでクラッシュも十分予測できます。
安全の追求にゴールはないにせよ、ゴールに近づけることは必ずできると思います。
コーションでのピットクローズが無いF1は黄旗中でもSCでも可能な限り飛ばそうとすると思います。
ましてや世界一速く走るのが仕事のドライバーをコントロールするには紳士協定でもなくしっかりとしたルール作りが必要です。
即フルコースコーションにしたくないのであれば尚のことです。
重機に突っ込んでも負けないクルマを作ればそれまでですが、そんなクルマにぶつけられたらオフィシャルは即命を落とします。
絶対などないですが、議論がある以上重機が出動した場合は少なくとも即減速のVSC一択!ピットクローズです。SCだと追いつこうとするので。
ビアンキが命を落として日が経つとコレです。
外野があーだこーだ言うのは簡単だし、勝手で余計なお世話でしかないかもですが、ドライバー、オフィシャル含め誰一人として失いたくない気持ちは一緒はずです。 
SCfromLA さんの投稿…
>スイカ男さん

 スーパーGT富士に続いてのコメントありがとうございます。F1GPニュースで川井ちゃんが言ってたんですけど、レースディレクターが去年から刷新されて以降「どこどこでこういう作業をやっているから気を付けろ」というメッセージが全然出てこなくなったらしいので、今回の騒動の1つの要因だなと思いました、去年までなら出ていることもあったみたいです。
本来なら状況の危険度・深刻度としては VSC<SC のはずなのに、仰る通り今回はむしろVSCの方がまだ安全だったんじゃないか、という結果を招いたのも今後の仕組みを考える上で大事な点だと思いますね。さすがに今回はFIAも見直しをせざるを得ないと思うので見守りたいですが、仕組みを作って暫くすると「安全にしすぎてレースが退屈」という声がすぐに出てくるので、仕組みと継続、忘れないことがやっぱり一番大事だなと思います。