今回は去年からちょっと気になってる小ネタを1つ。私は職場のパートの女性(ちょうど一回り年上)とわりと何かと仲良くさせてもらっていて、ちょっとしたものを貰ったり、逆にあげたりしているんですが、去年”古本屋で面白いものを見つけたから”と一冊の本を貰いました。こちらです。
題名部分が『夢をありがとう!』となっています。普通はこうなっているようです。ちょうどこの出品商品の写真を見たら、初版本と書いてあってその部分の写真もあるんですが、私のものを見ると、出版日が記載されていません。
阪神タイガース '92 猛虎の挑戦。1992年の阪神タイガースの戦いぶりを、当時のスポーツニッポンの誌面の縮刷版で振り返ろうというものです。
私は2002年、いわゆる"星野フィーバー"で盛り上がった時に発売された『新聞紙面でみる猛虎の挑戦 阪神タイガースの歩み』という本は持っていますし、後に2003年に優勝した際に同様の本が出版されたのも知っているので「おー、92年もこんな本出てたんかあ」と面白がっていました。
職場で受け取った時には特に気にしなかったんですが、家で「さあて、ちょっと読んでみるか」と改めて見たところでおかしなことに気づきました。既にお気づきの方も多いでしょう。題名を改めて見てみます。
V 祝優勝!!阪神タイガース '92 猛虎の挑戦 開幕から優勝までの全試合 永久保存版
優勝までの全試合ですからね、あの興奮のシーズンを振り返るにはもってこいですね、、、
この年優勝してねえよ!!!!!
ご存じない方のために少し解説を。1985年に日本一となった阪神でしたが、以降成績が低迷、1987年からの5年で4度の最下位と苦戦していました。しかしこの年、新庄 剛志、亀山 努の若手2選手が俗に『亀新フィーバー』と呼ばれる台頭を果たし、安定した投手陣、トーマス オマリー、ジム パチョレックの外国人選手の活躍などで優勝争いを展開しました。
優勝はヤクルトスワローズ、読売ジャイアンツとのハゲしい争いとなり、9月11日の阪神・ヤクルト戦では日本プロ野球史上最長・6時間26分の試合が行われました。
9回の八木 裕の打球は一旦ホームランと判定された後『フェンスの最上部のラバーに当たってからスタンドに入った』として二塁打に判定が覆り、これをめぐって37分の抗議が行われました。『八木の幻のホームラン事件』として語り継がれる試合です。
実際、打球はラバーに当たっているようなので、個人的には『普通ならフィールド側に戻るはずの打球が奇跡的にスタンドに入ってしまい、普通の二塁打なら走者が生還して勝っていたかもしれないものが、スタンドに入ったがために損した』ので、『幻のサヨナラツーベース事件』ではないかと思いますが、まあ些細な話です。八木は翌日の打撃練習で全く同じ打球を打ってしまったとか^^;
試合開始から終了まで、を掲げるサンテレビの野球中継は日付が変わっても続き、『CMを放送しきって流すCMが無くなった』という伝説もあります。
余談ですが、アメリカのメジャー リーグ史上最長試合は1984年5月8日のシカゴ ホワイト ソックス 対 ミルウォーキー ブリュワーズで8時間4分(延長25回)。
マイナー リーグでは1981年4月18日のポータケット レッド ソックス 対 ロチェスター レッド ウイングスで 、試合時間8時間25分、延長33回となっています。あまりに長いので32回でいったん打ち切られ、約2か月後に続きをやったら33回であっさり決着がついた、というこれまた伝説の試合でした。
この試合には、まだメジャーのデビュー前で、後に”鉄人”と呼ばれることになる殿堂入り選手・カル リプケン ジュニアも出場して13打数2安打でした。
話を日本に戻しましょう。そんな阪神は9月19日の本拠地・阪神甲子園球場での試合に勝利し6年ぶりの7連勝とします。この段階で2位ヤクルトに残り15試合で3ゲーム差。ただ、この後は相手本拠地の試合が続き、甲子園に戻ってくるのは約3週間後、公式戦最後の2試合だけという、17泊18日の長い遠征が待っていました。
監督の中村 勝弘は「今度、甲子園に戻るときには、地元のファンの皆さんに、大きな土産を持ち帰ってきたい」(スポニチ誌面より)と、事実上の『優勝宣言』をします。
ところが、重圧からか東京ドームでの巨人2連戦に敗れると、続くヤクルト戦も2連敗してあっさり首位から陥落。続く9月27日のヤクルト戦には勝利して首位に返り咲き、10月4日まではなんとか堅持。しかしここからなんと再びの4連敗。甲子園に戻って来た10月10日は、大きなお土産ではなく崖っぷちの状況を持って帰ってきました。
ヤクルトとの最後の2連戦、もし阪神が2連勝すれば、ヤクルトと同率となりリーグ史上初のプレイオフ開催。それ以外ならヤクルト優勝、という状況でした。しかし阪神は1戦目で敗れて終戦。結局2位でシーズンを終えました。そしてこの後、2002年まで一度も3位以上になれないという、俗に『暗黒の時代』を迎えることになります。。。
ハイ、優勝していないわけです。でもこの本では優勝しているわけです。謎ですね。というわけでとりあえずネット上で色々検索をかけてみました。オークション・フリマ・古書サイトでは時々取り扱われているみたいですが、表紙はこんな感じ。
メルカリより https://www.mercari.com/jp/items/m37154047910/ |
題名部分が『夢をありがとう!』となっています。普通はこうなっているようです。ちょうどこの出品商品の写真を見たら、初版本と書いてあってその部分の写真もあるんですが、私のものを見ると、出版日が記載されていません。
で、優勝してないのに『開幕から優勝まで』と書かれた私の謎本はどうなっているのかというと、9月27日の試合で連敗を止めて首位を奪い返した試合が掲載された9月28日付紙面で終了していてその先がありません。野球に別に詳しくないパートさんは、この話を伝えたら「優勝したんだと思っていた」という答えが返ってきましたが、知らない人が見たら絶対そう思うだろうと思いますw
去年は調べたら出て来なかったんですが、今日調べたら、私と同じ優勝バージョンの本も一冊出品している方がいましたので、いくらかは世の中にあるようなんですが、普通に考えると正式に市場に流通したものではなく、先回りして考えたレイアウトで結局出せなかったボツ仕様を、自分達用にいくらか刷ったとか、どこかで配ったとか、そんな話な気がします。
昨年、気になったので阪神タイガースと、スポーツニッポンの両社にダメもとで問い合わせしてみたところ、両社からご丁寧に返答をいただけました。ただ、両社とも事情は分からない、とのことでした。
私の義理の兄も大の阪神ファンなので、会った時に聞いてみたところ「あ~、あるな~こういうフライングしたやつ~(笑)」 兄曰く、フライングした書籍は他にも見たことがあるそうなんですが、当然関係者ではないので詳細も具体的根拠も分からず。
この本の企画・制作をしたのは グループ「トラキチ21」 というところなんですが、印刷・発行しているのは 上田印刷株式会社 という印刷会社。で、トラキチ21の責任者も上田さんなので、たぶんこの会社、というか上田さんが中心になって有志でトラキチ21を名乗ってるのではないかと推察されます。
ですのでここに聞いたら分かりそうなんですが、本当に小さな大阪市内の印刷業者さんっぽいので(記載されている住所をgoogleマップで調べると確かにそれと思われる会社はある)さすがに直で電話するのは気が引けて捜索はここでとりあえず断念しました(´・ω・`)
というわけで、この本について何かご存知の方や、「自分も優勝バージョン持ってるよ!」という仲間がいらっしゃればぜひコメントくださいw
ところで、阪神は1999年に監督として野村 克也を招聘しました。前年までヤクルトの監督であり、92年に優勝争いで敗れた因縁の相手でもあります。するとこの年の阪神は前年までの苦戦がうそのような成績で6月には首位に浮上。92年をほうふつとさせる”ノムさんフィーバー”に沸きました。
最高潮に達したのは6月12日の巨人戦。延長12回に新庄が槙原 寛己の敬遠球を打ってサヨナラ勝ちします。そして試合後のヒーローインタビューで高らかに言いました。
「明日も勝つ!」
翌日、阪神は負けました(´・ω・`) それどころか、6月の残る11試合で3勝しかできませんでした。
話はこれで終わりません、9月10日の巨人戦、新庄が決勝ホームランを打ってヒーローインタビューへ。ここで高らかに宣言します。
「明日も勝つ!」
阪神、ここからまさかの12連敗、チーム史上最多タイの記録でした。9月11日以降阪神は18試合ありましたが、この18試合で僅か2勝しかできませんでした。「明日も勝つ」は完全に禁句、連敗フラグとみなされるようになりました。後年、ヒーローインタビューでアナウンサーが、なんとか新庄に言わせようとした挙句「明日も、勝ち、ますよね?」みたいなことを言ってたのを覚えていますw
新庄から生まれたと言われるこの『明日も勝つの連敗フラグ』。しかし思い返せば、中村監督の大きなお土産発言で失速したのが1992年のこと。その時台頭したのが新庄で、相手の監督は野村。その野村が監督になり、新庄の発言で連敗。で、特に12連敗が始まったのは9月11日、そう、7年前に『幻のサヨナラホームラン』が起こった日です。私は、1992年から始まる因果ではないか、とか思っていたりします。
阪神ファンの雑談に最後までお付き合いいただいた方、ありがとうございましたm(_ _)m
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