SUPER GT、今さらの初歩的なお話(歴史編)

 私はSUPER GTの前身、全日本GT選手権を、正確には不明ですが遅くとも1998年からテレビで見ています。当時はテレビ大阪ではレースの2週間後あたりに16:00~17:15の枠でした。電子番組表なんてもちろんないので、放送を覚えておいて録画しないと見れず、忘れてて後悔することもしばしばでした、何せ当時まだ小学生ですからね^^;
 2002年以降はJ SKY SPORTS(現J SPORTS)を見れるようになったので、フルで見ることが可能となり(ちょうどこの数年前から段々テレビ東京のGT番組がバラエティー化し始めていた)、益々JGTCにハマっていくわけですが、もうそれからかれこれ20年近く。随分とGTの環境も変わりました。

 ブログでもSUPER GTは取り扱う対象としていますが、人気カテゴリーなのでオートスポーツweb等で新しい情報はいくらでも手に入りますから、私ごときの記事にさして需要はないでしょうし、NASCARのように情報探しに苦労することはあまりありません(苦笑)
 一方で、日本で最大の人気カテゴリーと言われるだけにご新規のファンの方というのも当然多いですが、そういえば意外とそのあたりの記事ってバラバラにはあっても、まとまったものって案外見つけズラかったりもするなあ、なんて勝手に思ったりもします。
 ちょうど、昨年GT SPORTの縁で知り合ったOkayplayerさんが今年から本格的にSUPER GTを見始めたということですので、Okayplayerさんに向けて書くつもりで(オイ)、そもそもSUPER GTって何ぞ、というあたりの話を私なりに書いてみようかなと思います。結果的に、世の中に他に同じように初心者の方の疑問も、日本で1人ぐらい解決できればいいかな、という、お馴染み「世の中1人ぐらいには役に立つかもしれないシリーズ」ですw
 歴史的な大きな流れと、現在のレースにおける話題の2点について書いて行こうと思います。なお、様々な情報源を活用しつつ文章化していますが、私の主観や記憶違い等を完全に排除することはできませんので、その点はご了承願います。

・そもそもどうやって始まった?

 今の奇怪なSUPER GTの話をひもとくには、そもそもの原点に立ち返る方が結局は分かりやすいです。SUPER GTの前身、JGTCには、さらにその源流と言えるカテゴリーがありました。
 1980年代後半、世界的にグループAというカテゴリーのレースが流行しました。市販の量産車をベースに改造したツーリング カーのカテゴリーで、日本でも1985年から全日本ツーリングカー選手権(JTC)が開催されます。
 国際自動車連盟が定めた国際的規格でのレース、時代は日本でいうバブル末期とあってグループAツーリングは活況を呈しました。そしてそんな中、1990年のJTCに投入されたのが、R32型スカイラインGT-Rでした。
※イメージですw

 圧倒的パワーを基本的には後輪で駆動し、空転すれば駆動を前輪に配分するという、FRと4WDのいいとこ取りしたシステム・アテーサE-TSという強力な武器を携え、R32スカイラインはJTCを席巻。1991年にはオーストラリア・マウント パノラマで開催される伝統イベント Tooheys 1000で日本車として初めて優勝するなど圧倒的強さでした。


 しかしそうした圧倒的強さがあだとなってグループAカテゴリーは終焉を迎えることになります。世界の潮流は排気量2Lの4ドアセダンをベースとした『ニュー ツーリングカー』へと移行、日本でも1993年限りでグループA車両は廃止となり、1994年からはニューツーリングを使った新カテゴリー・全日本ツーリングカー選手権(JTCC)へと移行することになりました。
 今でも時折、「SUPER GTは市販車からかけ離れている。もっと市販車を改造したレースにできないのか」という意見を目にしますが、過去の市販車ベースのレースの歴史を見ると、改造範囲を狭めてベース車を活かすと、必ず市販状態からお金をかけるところが現れ、それに対抗するには他所もお金をかけてコスト増になるか、諦めて撤退するところが増えて廃れるかのほぼ二択になるので、同じ轍を踏まないようにすると結局レース専用設計に行きつくのです。

 話を戻しましょう。ここでえらい人たちが考えました。JTCCのニューツーリングはトヨタ、ホンダ、日産が正面からぶつかるメーカー戦の意味合いが強い。せっかくGT-Rがたくさんある、スープラをはじめとした人気車両もいっぱいいたのにもうレースで使えない。これをどうにか活用できないものか。
 そして、こうしたグループA車両の受け皿となりつつ、メーカー対抗のJTCCと違って、プライベーター、チューニング ショップが中心のレースとして立ち上げられたのがJGTCでした。
 できるだけ幅広く色んな車や参加者を受け入れることがまず大事にされたので、規則はかなり色んな車や部材が使えるように考慮され、グループAと同じく使い道が無くなっていたグループCのプロトタイプ車両からの部品流用なんかもありました。
 あとは性能調整でどうにかしよう、来るもの拒まず、そんな規則や精神が、海外レースで使われているフェラーリF40やポルシェ962Cといったすごい車でも参加できる土台となり、他にはない『ごった煮』感のレースを生み出します。ガラパゴスと言われるGTの元祖がここにあると思います。
 ちなみに、1994年に発足したとされるJGTCですが、実はその前年の1993年にも『全日本GT選手権』というシリーズは開催されていました。ただ、参加台数が3台ほどとあまりに少なすぎて、予定していたレースはほぼ全部キャンセルか不成立。ジャパン・スーパースポーツ・セダンレース(JSS)というシリーズに相乗りする形でギリギリ3戦だけ開催されました。
 94年から開催されるJGTCとは主催団体が違うため歴史の一部としてカウントされていませんが、JGTCにはJSSの参加者も、言うなれば発展的解消として加わった形になっており、GT2クラス(今のGT300)に移行してシリーズの初期の発展に大きく貢献したと言えます。

・ハンデ制レース

 JGTCは好成績を挙げた車にはウエイト ハンデを課し、多くの車に勝つチャンスを与えて見どころを増やすとともに、性能調整と併せて『あまりにお金をかけて開発しても遅くなるし一人勝ちできませんよ』というのがもう1つの独特な点でした。プロレス、と揶揄されたりもするものですが、とにかく参加する人、見る人ができるだけメリットを感じるようなカテゴリーを考えていました。
 今もなおSUPER GTにハンデがあるのはこの頃からの理念を守り続けて、あくまで「色んな車が勝てる、一人勝ちさせない、そこかしこで争いが起きる」ことを重要と考えているからです。


・JTCC消滅、結局メーカー対抗へ

 メーカーにとって、JTCCがワークスの場、JGTCはいわば『課外活動』でしたが、JTCCはコストが高騰する一方。方やJGTCは人気のスカイラインをはじめポルシェ、RX-7、スープラ、シルビア、ディアブロ、M3など車種も豊富で、ハンデ制も相まって軌道に乗りました。
 かく言う私も、そもそもレースに興味を持ったのは、幼稚園の頃に星野 一義が駆るグループAのカルソニックスカイラインを見てカッコいいと思ったからで、後年JGTCに興味を持ったのもスカイラインがいるからでした。車種という面でもJGTCは圧倒的ブランド力を持つ車がいたのですから、JGTC人気は必然だったような気がします。

 当時、日産のベテランドライバーとしてJTCC、JGTCの両方に参戦していた長谷見 昌弘は
「JTCCは長くは続きません。その後はJGTCですよ。なぜならカテゴリーというものは、ワークスが関わるとワッと盛り上がるんだけど、メーカーは数年で抜けちゃって終わる。その繰り返しをしてきたわけです。でもプライベート主体のカテゴリーならば、入れ替わりはあっても好きな人が出入りして長く続くんです。彼らは損得ではなく好きでやっているからです」(オートスポーツNo.1314より)
 
 既にJTCCが崩壊へと進んでいた1996年ごろのインタビューだそうですが、実際時代はそうなっていきます。1997年末でJTCCからホンダと日産が撤退、これでカテゴリーが維持されるわけもなく、1998年限りでJTCCは消滅してしまいました。メーカーとしての活動の場が、JTCC→JGTCと移り、メーカー対抗の図式が徐々に濃くなり始めます。
 1997年、NSXがJGTCに本格的に参戦を開始。メーカーが直接関与するのではなく、あくまで無限と童夢という関連する企業が開発・車両提供する形ではあったものの、そもそも素性の良いミッドシップ車両に、童夢の風洞を活かした空力開発を積極的に取り入れて性能を向上。否応なくレベルが上がり、他の2メーカーも関与の度合いを上げていくことになります。
 幸いにして(?)NSXはめっちゃ速いけど駆動系を中心に信頼性が低くて故障が多く、かたやスカイラインは一発のタイムは遅いけど、ニスモがレース巧者で結果は良かったので、なんとなくシリーズとして興行は面白くなりましたが、速すぎるNSXの性能抑制はこの先10年近くGTに存在し続けることになります。

 ハセミさんの予言は当たりましたが、危惧する「ワークスが関わるとワッと盛り上がる」状態がJGTCに押し寄せてしまいました。

・3メーカーの協調と2クラスの棲み分け

 しかし、ついこの前競争が激化してカテゴリーを潰したばかりの皆さんですからさすがに二の舞を演じるわけにはいかず、3メーカーは競争をしながらも、水面下では協調を図るようになっていきます。これが結局は現在に至る3メーカー体制、妥協点を探りつつレギュレーションを策定していく時代へと繋がって行きます。
 一方で、これによって当初多くのプライベーターが参加していたGT500クラスは段々とメーカー直系、いわゆるワークスでないと戦えない状態となって行き、プライベーターはGT300へと移行していきます。今に至るGT500と300の棲み分けがこの頃から進んで行きます。
 ちなみに、当初GT1/GT2と呼ばれていたクラス名がGT500/GT300となったのは1996年のこと。当時の馬力が大まかに500馬力と300馬力だったことに由来しますが、現在はそれぞれ大まかに650馬力と550~600馬力ぐらいになっていて、全然数字と合わなくなっています。

・ワークス化加速、2003年の大改革へ

 GT500ではNSXをきっかけにした、と言って良い開発競争の激化が始まり、様々な創意工夫、飛び道具的なものが出てきます。リア ウイング翼端板の外側に小さいウイングをもう1個付けたのはなかなかのルックス。
カストロールトムススープラ'97(グランツーリスモ6より)


 NSXは床下の改造にも目を付け、『フロアの改造はできないが補強はして良い』という規則を利用して、事実上空力開発を進めます。FRのスカイラインとスープラでは構造的にやりズラい部分でした。
 規則上、ベース車両の骨格は維持する必要がありましたが、各メーカーともベースの骨格の内側に『補強用』のパイプフレームを作り、サスペンションは車体を貫通してパイプフレームに取り付ける、という状態にまで到達。もはやベース車両の骨格はただの飾り、邪魔者でしかなくなっていきました。
 そこで2003年、規則が大きく変更され、キャビン部分だけ残して前後はパイプフレーム化、その代わりフロアはフラット ボトムにしたり、ベース車両の差をなくすためにあれやこれやのハンデを設けたりと、GT500は大きく改造範囲が広がって高性能化、この2003年以降は実質3メーカーだけの戦いへと進んで行きます。
スカイラインGT-Rは'03規定でボンネット高が
大幅に低くなって精悍な顔つきとなる
(グランツーリスモ6より)



 一方GT300の方も、当初はザックリ言えば『自分たちで改造した日本車vs海外レースでも使ってるのを買って来た外国車』という感じ。前輪駆動もいるし、中身は別物なAE86トレノもいるし、『大人の実験室』的な雰囲気もありました。
 しかしそんな中で2002年にVEMACという車が彗星のごとく登場。VEMACは一応ベース車が市販されてはいるものの、GT300仕様はもはや純レース車両で、驚異の速さを見せます。おかげですんごいハンデを次々と課されました^^;
 その後も『オートバックスが市販化しようとしたが結局頓挫した』ガライヤがいたり、童夢が製作して『フェラーリの皮をかぶったNSX』とも言われた360が出てきたりと、GT300も一気に高度化を果たしていきます。見る側にとって新鮮である一方で、海外レースから持って来たポルシェやBMWを使っているプライベーターにとっては、もはや太刀打ちできない状態になり始めました。

 シリーズ名が全日本GT選手権からスーパーGTへと変わったのは2005年。シリーズ名には「世界への挑戦、世界からの挑戦」という副題があったはずなんですが、調べても出て来ねえw


・性能調整の限界、共通規則へ

 GT500では、日産が2002年に直列6気筒エンジンを捨ててV型6気筒へ変更、車両もスカイラインGT-Rから2004年にフェアレディZへと変更します。ベース車両が小ぶりなZは、事実上のホモロゲーションモデルを用意して全長を伸ばす飛び道具も用意してきました。

 トヨタも2003年にエンジンを2L直列4気筒のターボから、いきなり5.2L V8へと変更。これは、大排気量エンジン=外国車しかいないだろう、という考えで、規則上リストリクターの設定値がものすごく大雑把だったという規則の抜け穴を突いた飛び道具でした。

 ホンダはNSXに度々課せられるハンデと改造範囲の拡大により優位性を失い、か細いエンジンに限界を感じてターボ化したり、やはりNSX-R GTというホモロゲーションモデルを作って車両を大きくしたりと、3メーカーなりふり構わなくなってきます。NSX-R GTは生産台数5台、価格5000万円という、本当に『カタログモデル』でした。
 大排気量NAエンジンがパワー面で明らかに有利だと感じた日産が2006年に「来年も最終戦が富士だったらボイコットするぞ」といった旨のことを言い出した、かと思ったら、2007年に自分たちも4.5L V8に換装して「直線番長を目指します」と言い出したりもしました。
 このV8エンジン、非常に完成度が高かったので、GT500での役目を終えた後も世界耐久選手権のLMP2車両や、現在のGT300マザーシャシーのエンジンとして活躍、思いがけず長いヒット商品になりました。

 少し時代が遡りますが、2002年にはホンダがNSX-Rにオプションでインダクション ポッド(通称ちょんまげ)を設定。市販モデルではこれはただの飾りなんですが、これをGT車両では実際のインテークとして機能させ出力アップ。
 さらにこれだけでは終わらず、『リア ウイングの高さはルーフの高さまで』という規則があったので、ホンダは「ルーフの高さはこのインテークの上部だろ」と、ウイング高ごと引き上げることを主張しました。さすがにこれは却下された、というちょっとした珍事件でした。
NSXの通称"チョンマゲ"インテーク
(グランツーリスモ6より)



 こうした状況から見ても、もはや小手先の規則変更でどうにかするのが限界に来ているのは明らか。2007年には『前後オーバーハングを全車NSXと同一にする』という珍妙な規則を作ってまで、ベース車両単位での開発競争を抑え込みに行きましたが、結局2009年から全車で基本的な車両寸法を統一、エンジンも3.4L V8に一本化した規則、通称09規定の策定へと進みます。
 この段階で、GT500はベース車両の枠から完全に離れ、『市販車っぽい外観の純競技車両』となりました。ただ、日産がGT-Rのプロモーションをしたかったので09規則の車体を特例で2008年に前倒し投入したため、2008年のシリーズがGT-Rの圧勝になったり、ちょうどいわゆるリーマン危機の時期と重なったせいもあってホンダのFR車両、日産の3.4Lエンジンが2009年に間に合わなかったりと、紆余曲折もありました^^;


・海外規格との統一、現在へ

 GT500の09規定は2013年まで使用され、その後の2014年からの規定はさらなる大きな動きとなりました。ドイツで開催されているDTMとの規則統合、という大きな目標を掲げて、その第1段階とも言える車両規則となります。
 また、エンジンも2L 直列4気筒直噴ターボとし、燃焼効率を求める規則とすることで市販車に通じる技術開発を促進する方向性となりました。全体としては、モノコックをはじめ、多くの共通部品を使用してコストを抑制、車体の改造範囲も小さくなりましたが、軽量化と空力性能向上により大幅にタイムが向上、異様に速い車になりました。

 一方GT300も徐々に時代が変わっていきました。魔改造されたカローラやIS350、ほぼGT500レベルの仕様になっているNSXやフェアレディZ、それにRX-7、VEMAC、ガライヤ、紫電などの完全にレーシングカーと言える存在が速さを見せ、そこに強豪チームの外国車が絡むような構図でした。
 しかし2011年にFIA GT3規定のBMW Z4が登場。『海外レースで使ってた車を買って来た』というと、GT300では通じないというそれまでの常識は覆され、初音ミク グッドスマイル BMWはチャンピオンを獲得します。
 時代は折しもリーマン危機と東日本大震災により苦境の時代。参加者も大変だし、このままでは格差も拡大してレースの魅力が低下しかねない状況。主催者はGT300の方向性を検討した結果、それまで多様な仕様の車両を受け入れて走らせてきた方針を大きく転換、世界的に流行し始めていたGT3規定を軸として、『GT3車両とSUPER GT独自規格車両の2本柱』とすることになりました。
 この決断には否定的な声もあり、当時ポルシェ911 GT2を走らせていた土屋 武士は
「この先3年は使えると聞いてわざわざ車両を購入したのに梯子を外された」という旨の発言をしていました。紫電など、ベース車両が存在しない、ある種"SUPER GTらしい"特認車両も姿を消すこととなりました。

 この両クラスの変更は現場に大きな影響をもたらしました。GT500は改造範囲が狭く、目に見えた大幅な改造がシーズン中に行われるようなことは現在ではゼロと言っても良い状態。GT300もGT3車両は一切手を加えられない車であるために、使用チームでは極端な話仕事が『メンテナンス』になりました。

 2クラス混走、ドライバー交代、ハンデ制、といった基本的な構図という点では、SUPER GTは外見上はJGTCから継続されている一方で、市販車の改造、プライベーターの戦い、個性あふれるチューニング、見たこと無い車、というような要素は現在は姿を消したと言えます。
 「買った車を整備して走らせるだけでは技術者が育たない」といった意見も当然ありますし、「もはやGTではない」という意見もあるでしょう。確かに理想を言えば、市販車を改造して、創意工夫した色んな車が走り、それがとても速くてみんなに競争力があれば一番なんでしょうが、コストが壁となり、そもそも適したベース車両が少ない、という問題があります。
 運営としても20年前と同じようなことをできるものならやりたいでしょうが、時代に合わせて、カテゴリー消滅を回避すべく考えた末に辿り着いたのが今の形で、そこには一定の合理性があります。
 F1がV6ターボでメルセデス一強となり不人気だと言われた2014年、世界耐久選手権(WEC)は3メーカーが真正面からぶつかり、多くの人が『使えるエネルギーだけ決めて自由にやらせるWECの方が優秀』と感じました。
 ところが、フォルクスワーゲングループの燃費不正問題、いわゆるディーゼル ゲート事件が発生すると、参加3社のうち2社が同グループだったこともあって、あっという間にトヨタだけになってしまい、LMP1クラスは崩壊してしまいました。かじ取りというのは言うほど簡単ではありません。
 そういう点でSUPER GTは、大してレースが人気でもない国で細々とやってるだけの存在でありながらよくやっていると思います。というか奇跡的ですらありますね。

 長々と書きましたが、「なぜ3メーカーしかいないのですか?」「なぜ市販車の改造ではないのですか?」「どうして2クラスあるのですか?」「なぜハンデがあるのですか?」こんな質問の答えって、突き詰めるとこの25年以上の流れ全部が答えに関わってたりするので、JGTCからの過程を知ることは大事だと思うので延々と書いてみました。次回でようやく今の話に入りますw

コメント

通りすがりのハゲ さんのコメント…
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okayplayer さんの投稿…
記事ありがとうございました!
気になってた情報がまるっと入っててありがたい限りです!
でも情報量がめちゃくちゃ多くて消化し切れないので何回か見直すことにします笑